シエスタ

非公式K大オカルト研究会会長によるHP

百鬼夜行シリーズ、順番

またの名を京極堂シリーズといいます。

西尾維新物語シリーズが好きな人は読んでおいて損はないものです。

実際西尾維新自身も自分のルーツとして京極夏彦をあげていました。

以下備忘録程度に順番をかいておきます。

第一巻姑獲鳥の夏

第二巻魍魎の匣

第三巻 狂骨の夢

第四巻鉄鼠の檻

第五巻絡新婦の理

第六巻塗仏の宴 宴の支度

第七巻塗仏の宴 宴の始末

第八巻陰摩羅鬼の瑕

第九巻邪魅の雫

 

以下は百鬼夜行シリーズのサイドストーリー

第一巻百鬼夜行 陰

第二巻百器徒然袋 雨

第三巻今昔続百鬼 雲

第四巻百器徒然袋 風

第五巻百鬼夜行 陽

 

とてもややこしいですね、このシリーズ

さすが西尾維新のルーツだけのことはある。

 

 

サイドストーリーはこちら↓

 

 

 

幽霊を捕まえようとした科学者たち

オカルト研究日誌vol0001

 

幽霊を捕まえようとした科学者たち、読了しました。

ウィリアムジェイムズを中心とした心霊研究を描いた本。

感想というか印象深かったはなしをメモ程度に紹介します。

 

 

 

幽霊はなぜ服を着ているのか

幽霊を見たと称する人々はほぼ例外なく死者は服を着ていたと云う。エレナー・シジウィックのいうところの「服の幽霊」

この服の幽霊に対してのガーニーによる解釈は、心霊現象は受容者側の潜在意識に影響を受ける、というもの。これは生きている人間通しによる会話においても発言者の意図が完全に伝わることがないように、死後の世界からの接触も受けて側に影響されているというもの。

 

奇術師デイヴィーとホジソンによる降霊会と暴露

ホジソンは霊媒はトリックによって再現可能だということを示そうとしたのだが、それを認められない心霊主義者の話。

ダーウィンと共に進化論を構想したが後に心霊主義に没頭したウォレス曰く、「すべてに説明がつかない限り、デイヴィー氏はたんなる奇術師ではなく本物の霊媒である」

ただしウォレスはそれでも革新的で精力的な合理科学思想家でもあった。

奇術を霊媒と説明する難しさが面白い。

パイパー夫人による霊媒

この本において最も本物に近いとされる霊媒師であり、本の多くは彼女の実験の描写に割かれる。この本を読む限りテレパシーか霊媒か、そのどちらかの存在は既に認めざるを得ない程に、死者のメッセージを伝えたり、サイコメトリーを披露したりする。テレパシーか霊媒かというのはどういうことかというと、彼女の能力は確かに認められるがそれが死後の霊の存在証明になっているかは不明であるということである。つまり彼女はその死者についての情報をかなり正確に話すことが出来たのだが、それは周囲の人間のその人間に関する記憶を読んでいるのではないかという仮説である。どちらにしても未知の能力が存在していることはほぼ疑いなく思われる。ただし彼女の霊媒においても否定材料はありそれは専門知識の問題である。つまり彼女は思い出などは詳しく話すことが出来たがその人物の専門的な知識、例えば語学や哲学などの知識に関してはうまく話せなかった。これに対してのホジソンによる解釈は、霊には伝えやすいこととそうでないことがあり、感情的つながりは霊媒によって残りやすいが専門知識はうまく伝わらないという解釈である。確かにある程度納得のいく解釈である。

ガーニーによる『生者の幻像

この『生者の幻想』という本は心霊譚の収集されたものが多く収録されているものである。

死亡した場所と幻影が見えた場所に時差まで検証して信頼性を確保したものであり、とても説得力がある。

しかし偶然の一致という反論は免れ得ない。

そこでガーニーは合理的確率を上回って何度も起きていることを証明するためにアンケート調査を行ったところ、予備調査の結果視覚的幻覚のすべてはその人物の死後十二時間以内だった(23/5750)。

霊感とは何か

霊感にある人間は磁気信号を検知する並外れた能力を持っているという心霊主義者の主張がある。これに対して科学者は実際にそのような人間がいるのかを発電機を使った実験によって調査した。しかし結果は、最初は相関関係が見られたがダイナモのうなりやわずかな音の発生を遮断すると一切の関係は見られなくなった。

これによって霊感と磁気信号の検知能力の関係は否定された。

しかしこの実験が成功したならば霊感を科学的に分析できたことになり、その心霊研究の基になったかもしれない

感想

もちろんだがこの本において心霊は存在するのか、明確に語られることはない。しかし本を読む限り読者はほとんど心霊の存在は信じるようになると思う。

しかし完全に信じるということはない。自身がそのような体験をしない限りそうなることはないように思える。

 

 

 

進撃の巨人23巻

進撃の巨人(23) 23巻発売されました。

感想などかきます。

また、以下にはネタバレがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表紙のおっさんはパラディ島(エレン達のいた島)から帰投後のライナー

巨人はユミルの巨人を引き継いだガリアード。つまりはユミルの死の確定ということだが。クリスタには読ませられないな。

おそらく顎(あぎと)の巨人という

ユミルの巨人と見た目が違うのには理由があるかもしれない。ユミルの巨人が無知性巨人に近かったのに対してガリアードの巨人は無知性とは異なる外見をしている。

次回予告の絵はユミルがガリアードの兄、マルセルを襲っているところ。

24巻ではエレン達とライナー達の過去が並行して進んでいくかもしれない

しかし卑屈なエルディア人(エレン達もエルディア人であり、現在はマーレ人との戦争に負けてほぼ奴隷状態)は見るに堪えないので早くエレンに話を戻してほしい。というかこの23巻はほとんどが状況説明と新キャラ紹介で動きがなく、また謎が解明されるわけでもなく、あまり面白くない。24巻に期待したい。

ただしアッカーマンは巨人化学の副産物だということが判明。個人的にはループした記憶を持っているから強いという説を推していたのだが…

どんどんループ物の痕跡がなくなっている気がする。というか今の話の流れにループを持ってこられるともうお腹いっぱいという感じがする。疑似科学が多すぎると嘘っぽさが増すので。まあ巨人の質量がどこからくるのか、みたいな話で道がどうこうとか言っていたのでそこから繋がるかもしれない。

23巻ではエレンとアルミンの活躍も確認できます。

やっぱそういうのが見たいですね。

またライナーのエレン達に対する心残りというか、共闘フラグのようなものも描写されるけれど、多分ないだろうな。まあ共闘はそんなことあったら熱いだろうなという100%妄想しぼり。ただし再戦は十分ありうる展開だろう。成長したエレン、アルミン、ミカサも次巻には登場すること期待。

ただバトル展開になるとエレン側の方がやっぱ不利よな…

巨人の数や文明の差など。

本気出されたら結構勝ち目ないのでは?

そういえばエレンには王家の血は流れていないのになぜ始祖の巨人の力を使えたのだろうか(ジークは王家の血を引いている)

↑そういえばあれはダイナ・フリッツに接触後のことでしたね

だから使えたのか。俄かでした。ということはヒストリアが近くにいれば始祖の力使えるのか。知性巨人も操れるなら大分勝ち筋がありますね。

ところでジークは王家の血を継いでることを隠してる描写をわざわざしてましたから、これはまだジークにまだ何か隠していることがあるかもしれませんな。

まだまだ進撃の巨人には謎が多い。この謎の小出しがうまいんだろうな。

次巻発売は12月8日。とても遠いね。

 

 

 

姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)

京極堂シリイズ一作目、姑獲鳥の夏 感想など 

「いや、幽霊はいるよ。見えるし、触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしないだから科学では扱えない。でも科学では扱えないから、絵空事だ、存在しないというのは間違っているよ。実際いるんだから」(京極堂)

 

序盤から引き込まれ一気に読んでしまい、京極堂シリーズを注文してしまったところである。これを読む前『神の拳』を読んでいたのだが、読書スピードの違いに驚いた。

今まで書店で見かけたときは無駄に厚い本という印象だったが、いざ読み始めてみるとスラスラ読める。

岡田斗司夫曰く、西尾維新物語シリーズの原点であるらしく、読み終わった感想はまさに然りといった感じ。

「神様なんてのはどこにでもいるからさ。どこにでもいるし、どこにもいない。お嬢ちゃんがそうなる前からお嬢ちゃんの周りにはそれはあったし―あるいはなかったとも言える」

「禅問答ですね。まるで」

神道だよ。修験道かな」

忍野は言う。

「勘違いするなよ、お嬢ちゃん。きみは何かの所為でそうなったわけじゃない―ちょっと視点が変わっただけだ」

最初からそうだった。

化物語上より引用。

これは明らかに冒頭の京極堂の怪異観から持ってきている。

以下ネタバレあります。

 

 

 

 

 

推理小説の出来としては普通という印象。というか流石にないだろうという点が多い

娘の部屋に一年以上入らない親

想像妊娠によってまるで胎児が実際にいるかのように膨らむ腹

暗示によって破裂する人体

などである。ここら辺が嘘っぽいといえばそうなのだが、京極堂の世界観や衒学趣味的な語り口がとても心地よい。

さらに信頼出来ない語り手という印象が序盤から読者に強く意識されるが、仕掛けには気づけなかった。というかミスリードに引っかかった。あるいは勝手に引っかかった。もっとも語り手が信頼できないを通り越して異常であるのがアンフェアすぎる。部屋の死体に気づかないのはちょっと…

死体に気づかないための理由付けがもっと必要だった。語り手による床の描写の曖昧さや、果物ナイフの記述などヒントはあったのだが、正直京極堂が果物ナイフの話をした時、何のことだ?と思った。まあこれは読み込みが甘かっただけ。

 

精神病理学的な知見からもっと深く考察できそうであるので今度書いてみる。

 

 

ソロモンの偽証(映画)

面白いが不満も大きい作品

岡田としおが誉めてたから見たがそこまでではなかった

以下ネタバレあります

 

 

 

 

まず前編が壮大な前降りだと分かってるからだれる。

なので感想は後編に関して

そもそも僕はミステリーが好きなのでつまらないということはなかった。しかしこの映画はミステリーとして見ると肩透かしを食らう、というか映画のジャンル的にはサスペンスか。だからそれを期待しない方がいい

この映画は真相を、最初から真相を知っている人間に語らせてねたばらしをする。まあよくある真犯人の告白といえばそうなのだが。もっと論理的に追い詰めろといいたい。特に不満だった点二つ。

告発文をかいた宮野ジュリが証言台に立って、あれを書いたのはマツコだと証言する。これは映画の視聴者視点からは嘘だとわかる。なぜならジュリとマツコの二人きりの会話シーンがあるからである。僕はこれを藤野が与えられた情報だけで推理して矛盾を導くのかと思ったがそんなことはなく、ジュリによる告白で嘘だと分かる。一つ目の不満。

次。最後に神原が自分がカシワギを殺した犯人だから裁いてくれと叫ぶ。しかし藤野は神原が犯人ではないと言い返す。僕はこのシーンに逆転裁判によくある最後の食らえ演出のように理路整然と神原が犯人でない理由を説明するのかと思ったが、そんなことはなく述べるのは屁理屈。これには心底がっかりした。disappointed 。二つ目の不満

良かったところは開廷前に藤野が神原の発言の矛盾に気付いて指摘するところ。これは気付かなかった。

ちなみにこの映画多分bgm一切ないんじゃないかな。尋問シーンでは逆転裁判のbgm流してました。なかなかいい

不満点もうひとつ。藤野ちゃんと検事しろ。真相究明が目的なのは分かるがなんか出来レース感が否めない。藤野じゃなくて本気で恨んでる人にしてくれ。勿論ヒステリックな奴は勘弁だけど

 

こんな感じの感想です。しかしこの原作はこのミステリーがすごいの二位に選ばれているらしいのでもしかしたら本当はちゃんとミステリーしてて、上に上げた不満は映画の問題という可能性もあるが、まあ読むことはないでしょう

 

 

 

西田幾多郎に関してメモ書き

 

善の研究における西田哲学の特徴

第二編を中心に

 

最初の問題提起

物そのものも心そのものも客観的に直覚することは不可能

因果律のために物心そのものの存在を信じることができる

因果律とは、意識現象の変化から起きた思惟の習慣

ではその妥当性はあるのだろうか

 

疑いようのない直接の経験→直覚的経験の事実、即ち意識現象についての知識

これを基礎として積み上げた知識ならば妥当

ただしここでいう意識現象とは本来は意識現象とも物体現象とも名付けられないものを無理やり定義したもの→真に純粋経験の事実、知情意を一にした主客未だ分かれざる独立自全の真実性

 

疑いようがない理由

意識現象は最も直接的、意識現象を離れて物体現象を推量できないという点で本質的

 

客観的世界への適用→各人の意識の統一が客観的世界の統一をつくる

 

すべての実在の背後にある統一的或物の証明

ある性質が他の性質と比較し区別されるためには両性質が根本において同一でなければならない

それは物体現象では物力、精神現象では意識の統一力

しかし物体現象と精神現象は純粋経験の上では同一

 

個人的考察

意識現象を根本とする論理は理解できるが、唯物論に対する優越を決定的に示すことできてはいないのではないか 

西田は唯物論に関して、意識現象と自然現象が同一の法則に従うという仮定のもとに成り立つ議論でしかなく薄弱であるというが、純粋経験のうえで同一という議論も同じように薄弱ではないのか

西田は我々の意識の統一とは異なった世界を我々とは没交渉の世界として切り捨てている(岩波善の研究p82)が、切り捨てるには議論不足ではないか

 

三章

この純粋経験がどのように善の研究へとつながるのか

 

善を内面的必然によって説明する

善とは自己の内面的要求を満足する者、最大の要求とは人格の要求

つまり人格の実現が絶対的善

つまり善行為とは直接経験の状態におい自覚した内面的要求に従った行為

 

個人的感想

西田は善の研究していない

調べてみると善の研究というタイトルはもとは純粋経験と実在というタイトルだったらしい

そちらの方が本の要旨にあっている

 

 

 

掟上今日子の退職願

掟上今日子の退職願、読了

なかなか教訓になりそうな文章があったのでご紹介

合わせ鏡である。そんな上司の言い様が気に入らないと思うならそれは自分の中にある彼のような部分が気に入らないだけである。

あくまで『私』なのだ。『私』でしかない。

個人的事情であり個人的感情でしかない―実害もないのに何かを不愉快に感じるなら、それは自分の醜い面を見せつけられているからだ 

 他人は自分の鏡とはよく言われるが、これを本気で思えたらなかなか人間として熟成しているかもしれない