滅多矢鱈分析学

滅多矢鱈に精神分析的言説を開陳するブログ、冗談半分です。

「聖書的に正確な天使」は本当に聖書的に正確か

 

天使の冒涜的な本当の姿とその名前

"Biblically Accurate Angel"というtweetを見た。(このアカウントの雑多さからして転載であると思われるが、誰がつくったものなのかは不明だった)

このツイートの映像によれば、天使は一般に考えられているようなものとは全く異なり、非常に不気味で恐ろしい外見をしているようである。

位階第一位 熾天使(してんし,セラフィム)

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Seraphim

位階第二位 智天使(ちてんし,ケルビム)

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Cherubim

位階第三位 座天使(ざてんし,オファニム)

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Ophanim

何をもって「正確」といえるか

なんとも冒涜的な神聖な映像だ。

こうなると実際の聖書における表現が気になってくるので調べてみることにする。

しかし天使については、特にキリスト教文化圏ではない日本人にとっては意外であろうことに、旧約聖書を読んだとしてもほとんど情報はない。

天使について知りたいことのすべて、すなわち名前や性質や務めといったものが、キリスト教の聖書に見いだ されると考えたくなるのも無理はない。しかし驚くべきことに、このような情報は聖書には見いだされないので ある。旧約聖書カトリックの「トビト書』をふくめたとしても、実際には三人の天使の名前をあげているにす ぎない。(『天使の世界』)

天使についての一般的なイメージは聖書外典によるものである。

では、天使の暮しの詳細――天使が何者であり、どう呼ばれ、何をなし、どのように人間と影響しあっ ているかといったこと――は、いったいどこで見いだされるのか。 
われわれの知る情報はすべて、天使の存在を信じる四つの宗教の正典以外のものに発しているのだ。事実、こ れらの文書の多くは、外典、偽典、アポクリファと呼ばれている。しかしこれら異端の文書がおおむね土台と なって、たとえ漠然としたものであるにせよ、天使についての観念をつくりだしており…(『天使の世界』)

では正典における天使の記述にしぼって、その正確性を確かめてみる。

Seraphim

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イザヤ書6章2節

Above him were seraphs, each with six wings: With two wings they covered their faces, with two they covered their feet, and with two they were flying.
その頭上には、それぞれ六つの翼を持つセラフがいた。2枚の翼で顔を覆い、2枚の翼で足を覆い、2枚の翼で飛んでいた。

すなわち少なくとも顔と足があるはずであるがこの映像にはそれがない。

つまり聖書的に正確とはいえないであろう。

Cherubim

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エゼキエル書1章5-11節

5 and in the fire was what looked like four living creatures. In appearance their form was human, 6 but each of them had four faces and four wings. 7 Their legs were straight; their feet were like those of a calf and gleamed like burnished bronze. 8 Under their wings on their four sides they had human hands. All four of them had faces and wings, 9 and the wings of one touched the wings of another. Each one went straight ahead; they did not turn as they moved.

10 Their faces looked like this: Each of the four had the face of a human being, and on the right side each had the face of a lion, and on the left the face of an ox; each also had the face of an eagle. 11 Such were their faces. They each had two wings spreading out upward, each wing touching that of the creature on either side; and each had two other wings covering its body. 
またその中から四つの生きものの形が出てきた。その様子はこうである。彼らは人の姿をもっていた
おのおの四つの顔をもち、またそのおのおのに四つの翼があった
その足はまっすぐで、足のうらは子牛の足のうらのようであり、みがいた青銅のように光っていた。
その四方に、そのおのおのの翼の下に人の手があった。この四つの者はみな顔と翼をもち、翼は互に連なり、行く時は回らずに、おのおの顔の向かうところにまっすぐに進んだ。
顔の形は、おのおのその前方に人の顔をもっていた。四つの者は右の方に、ししの顔をもち、四つの者は左の方に牛の顔をもち、また四つの者は後ろの方に、わしの顔をもっていた。
彼らの顔はこのようであった。その翼は高く伸ばされ、その二つは互に連なり、他の二つをもってからだをおおっていた

聖書には「彼らは人の姿をもっていた」と書いてある。

すなわち基本的な造形は人間であるといえるだろう。

また胸部の不気味な目も存在しない。

つまり残念ながら(?)この映像の天使は「聖書的に正確」ではない。

Ophanim

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エゼキエル書1章15-18節

As I looked at the living creatures, I saw a wheel on the ground beside each creature with its four faces. This was the appearance and structure of the wheels: They sparkled like topaz, and all four looked alike. Each appeared to be made like a wheel intersecting a wheel. As they moved, they would go in any one of the four directions the creatures faced; the wheels did not change direction as the creatures went. Their rims were high and awesome, and all four rims were full of eyes all around.
わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。四つの生きものおのおのに、一つずつの輪である。
もろもろの輪の形と作りは、光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである。
その行く時、彼らは四方のいずれかに行き、行く時は回らない。
四つの輪には輪縁と斡とがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた

どうやらオファニムについてはほとんど正確であるといえる。

もっとも中央の巨大な目に関する記述は存在しない、しかし「中央に目はなかった」とも書いていないので許容範囲(あるいは想像の余地)であろう。

よっとオファニムに関しては聖書的に正確であるといってよいかもしれない。

 

以上のように”聖書的に正確な天使”のうちふたつは聖書的に正確ではないという残念な事実が判明してしまった。

しかし聖書に記述された天使は、相当に不気味な姿であることは間違いない

また、ここまでの異形を正確に記述するということも不可能であるので、これらが完全に間違いである、と断言することはできないであろう。