滅多矢鱈分析学

滅多矢鱈に精神分析的言説を開陳するブログ、冗談半分です。

なぜ潤羽るしあのガチ恋勢は怒るのか

それはもはや真実を知らないふりができなくなるからだ。

ある閉じたグループの全員がある汚いディテールを知っている(そして他の全員がそれを知っていることも知っている)にもかかわらず、その中の一人がうっかりそれを口にしてしまうと、全員が恥ずかしい思いをする、という典型的で厄介な状況を思い起こしてみよう。なぜ?誰も新しいことを学んでいないのに、なぜ全員が恥ずかしいと感じるのだろうか?それは、もはや知らないふりをする(ように振る舞う)ことができないからだ。言い換えれば、今や、大他者がそれを知っているからだ。そこには、アンデルセンの「裸の王様」の教訓があります。外見の力を侮ってはならない。外見を不用意に乱すと、外見の背後にあるもの自体も崩れてしまうことがある。(『How to Read Lacan』)

大他者が知ってしまうと何が起こるのか。

象徴的な負債を返済しなければならなくなる。

すなわち「自分の嘆きや不平の真の意味を受け取る」

あるヒステリー患者が、私は他人に利用されてばかりおり、この悲惨な現実に自分は適応できない、と繰り返し嘆いたとする。これに対する精神分析の立場からの答えは、「虚しい夢をみるのはおやめなさい。人生は悲惨なものです。そのまま受け入れなさい」というものではない。反対に、「あなたの嘆きや不平不満はみんな嘘です。なぜなら、あなたはそれらの おかげで、利用され搾取されるという現実に、適応しすぎるほど適応しているのですから」。ヒステリー患者は、無力な犠牲者という役割を演じることによって、現代の俗語を用いれば、「まわりの人を精神的に恐喝」できるような立場に身を置くのである。(『汝の症候を楽しめ』)

すなわちスーパーチャットをすることによって「潤羽るしあを精神的に恐喝」していたという自分の行為を引き受けなくてはならなくなる。

上に書いた「裸の王様」の教訓にあてはめてみよう。

外見の力とは潤羽るしあには恋人がおらず、自分がスーパーチャットによって、ヴァーチャルな恋人として彼女を支えているという幻想だ。

潤羽るしあの交際が判明したことによって、外見の背後にあるものが露出した。

それはガチ恋勢という立場やスーパーチャットによる精神的な恐喝という、受け入れがたい猥褻な真実である。

彼らはそれに対して感情的に怒る。

以上