滅多矢鱈分析学

滅多矢鱈に精神分析的言説を開陳するブログ、冗談半分です。

家父長制打倒を金科玉条とするフェミニストは思想的怠慢

家父長制は最初からなかった

たしかに民間企業の経営陣や国家の官僚組織といったところでは、いまも男性支配が続いています。しかし、それ以外では、男性と女性の経済格差は子供の出産という選択でかなりの部分が説明できます。

女性の場合、男性を悩ませる問題のすべてに加えて、キャリアか子供かを選ばなければならない問題があるのです。男性支配の残滓はこれで説明できます。

一方、男性は家庭生活における決定権をかなり失った分、仕事の世界がますます重要になり、そこに打ち込むようになっています。男性にとって仕事で成功できないことは、自分を大きな危険にさらすことになりますからね。

これ以外の男女の違いの話は、遺伝子や脳の話を含めてすべて疑似科学です。男女はあらゆる分野で同じであり、男女差があると言われている分野も、その差を確認できなかったりします。一方、出産とその心理社会的帰結は、かなり強力な変数として本質を説明できています。

──西洋では家父長制は消えたということですか。

消えたのではなくて、最初からなかったのです。そもそも家父長制とは何でしょうか。私はどちらかといえば、普遍的な男系支配の制度という言葉を使いたいですね。これは集団のマネジメントにおいて、男性の地位が少しだけ上になるということです。

とはいえ、男性支配の度合いは地理的にも歴史的にも大きく異なります。それぞれ非常に異なる制度なので、それを家父長制という一つの用語ですべて言い表そうとするのは無理な話なのです。(エマニュエル・トッド「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」)

 

フェミニズム年表と思想変遷

第一波フェミニズム=(古典的)リベラル・フェミニズムマルクス主義フェミニズム

第一波フェミニズムでは,公的領域(政治・経済・教育)における男女平等に焦点が当てられ,男性だけに認められていた諸権利を女性が獲得することが,運動の主な目的とされた(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

リベラル・フェミニズムは,女性も男性と同じ人間である という意識と,個々人の自由と平等というリベラリズムの理念とを,男女平等実現の基盤に据えた.具体的には男性と同等の女性の参政権や財産権,教育権などを求めた(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

古典的リベラル・フェミニズムは、女も理性的判断能力があり、合理的行動ができるとして、男と同じ法的権利を主張した。19世紀のフェミニズム運動を結束させた女性選挙権要求は、財産権、相続権、 言論権、結社権等、近代市民社会の一員として持つべき諸権利の要求を象徴的に表明するものであった。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

自由主義思想が生み出した女性の権利要求思想に対して、そのアンチテーゼとして、社会主義思想か らの女性解放思想の発展があった。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

一夫一婦制 において、個々の家族が経済単位になったが、女性は生産活動から切り離され、女性の家事労働は部族 のためという公的性格を失い、夫である男に対する私的サービスとなった。妻は単なる男の情欲の奴隷 /売春婦、および男のために子供を産む道具となった。女性の解放には、私有財産の廃止、女性の生産 労働への復帰、社会の経済的単位としての個別家族の属性の除去、便宜婚から愛に基づく婚姻への移 行、家事・育児の社会化が必要であるとした。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

社会主義フェミニズムは,アウグスト・ペーペル(1919)の『婦人論』に代表されるように,性差別の原因を女性の生産手段からの阻害であると捉え,女性が労働者とし て生産活動に就くことによって,そして最終的には資本主義の社会主義への移行によって,性差別は克服されると主張した(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

第二波フェミニズム=ラディカル・フェミニズムと(ネオ・)マルクス主義フェミニズム

第二波フェミニズムでは,性や家庭などの私的領域の問題にも焦点が当てられるようになり,また,性差別が生じる社会機構や文化のあり方についての理論構築も行われるようになった(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

ラディカル・フェミニズム

ラディカル・ フェミニズムでは,主に性の領域に焦点が当てら れ,男性と女性では異なる性規範が当てはめられる性の二重規範の解体や,産む・産まないの自由といった女性における性の自己決定権が主張された(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

ラディカル・フェミニズムは、〔…中略…〕多くの面で、リベラル・フェミニズムおよびマルクス主義フェミニズ ム、さらに異性愛中心のフェミニズムに挑戦するものであったと言える。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

ラディカル・ フェミニズムは、このような公私二元論を批判した。出産、育児、家事、愛、結婚、セクシュアリティ 等の日常的、個人的なことも社会的・政治的であり、そこにも男の力は作用している。それまで、公私分離イデオロギーのもとで私的なこと、個人のプライバシーとして触れられてこなかったこれらの分野にこそ、男女間の力関係の不均衡、支配服従関係があり、女の従属の原因があることを明らかにした。〔…中略…〕リベラル・フェミニズムが、既存の秩序の根幹的転覆というより、性差別や偏見の撤廃という社会変化を求めたのに対し、ラディカル・フェミニズムは、男女関係に関する根幹的変革の必要を主張した。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

ラディカル・フェミニズムは、 性による抑圧の分析において、マルクス主義の「階級理論」「抑圧理論」に多大な影響を受けている。 しかし、マルクス主義フェミニズムが生産関係、階級関係分析を中核とし、性関係を二次的にしか扱っていないことを批判し、ラディカル・フェミニズムは再生産関係、性関係を分析の中心に据えた。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

シュラミス・ファイアストーンによる『性の弁証法』(1970)は、生産関係を社会編成の土台として、 階級関係における矛盾が歴史を動かすとしたマルクス主義史的唯物論フレームワーク、特にエンゲル スの『家族、私有財産、国家の起源』を援用し、 「性の弁証法」を提示した。すなわち、男女関係を再 生産のための生物的階級関係とおさえ、生殖/再生産関係が社会編成の土台であるとして、性関係にお ける矛盾こそ歴史を動かすと分析した。家父長制は生物的性/生殖関係の不平等に起因するから、女性解放には、まず第1に、生殖テクノロジー等による再生産の手段のコントロールを女性の手に入れるこ と、第2に、生物的家族の消滅、経済的単位としての家族の消滅が必要であると主張した。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

精神分析からは、ナンシー・チョドロウ (1978)が、母親が育児担当であることを通して、男/女らしさが再生産され、女が母親業を引き受けるようになり、性役割が再生産されると分析した。そして、女性解放のためには、男女が親業を対等に分担し、子供が両親と同じように接するような家族の編成が必要であると主張した。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

ネオ・マルクス主義フェミニズム

(ネオ・)マルクス主義は,生産領域(公的領域) における階級支配について論及した社会主義フェミニズムと,私的領域における家父長制について論及したラディカル・フェミニズムとを統合したものである(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

1970年代のマルク ス主義フェミニズムは、マルクス主義の生産関係分析、階級理論を中心にした史的マテリアリズムに、 再生産関係、性関係の分析を取り入れる試みから始まった。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

マルクス主義フェミニズムの資本制中心議論、ラディカル・フェミニズムの家父長制中心議論(いわ ゆる一元論)に対し、社会主義フェミニズムは、資本制と家父長制の関係について、2つのアプローチ を提供した。第1は、二元論(二元的結合論)である。資本制社会における女性の地位は、資本制と家 父長制の両者の作用の結果であるとして説明する。〔…中略…〕第2は、統合論である。資本制は本質的に家父長制的であり、女性の縁辺化、二次労働力化は資本の本質的性質を構成する。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

(注:社会主義フェミニズム=ネオマルクス主義

すなわちラディカル・フェミニズムとネオマルクス主義フェミニズムの違いは自由主義を支持するか否かであろう。

第三波フェミニズムポストモダンフェミニズム

ポストモダンフェミニズム

ポストモダンとはポスト構造主義と等号で結ばれることが多いが、以下のようにポストモダンフェミニズムは(一般的に構造主義者と呼ばれる)ラカン的である。

この矛盾についてはとりあえず、ポストモダンとはモダンの後という意味でしかないため、ラカン構造主義を理論的に取り入れたフェミニズムポストモダンフェミニズムである、と理解しておく。ただしジジェクによればラカンポスト構造主義者であるので実際には矛盾していないのだが…。

というよりもデリダが「現実とはすでに言葉によって編まれたものであり、純粋な同一性からつねにずらされる(差延)」と考えたとき、それは欲望のグラフの変奏にすぎないってことだろうか。

もっとも脱構築を行うという意味で純粋にポストモダン的でもある。

1980年代からは、特に次に述べるように、知の客観性、真実 性を否定するポストモダニズムに影響を受けたフェミニストたちの間で、伝統的な学問的知が女性を縁 辺化してきたことを認識し、これに挑戦していこうとする上で、このような家父長制概念を伝統的社会 理論に上乗せするのでは不十分であるという認識が強まった。〔…中略…〕社会学者や人類学者によるフェミニズムにおいては、イデオロギーや意識を取り入れてきたとはい え、家父長制概念は第一次的には構造として把握され、文化や主体を規定すると考える傾向が強かっ た。しかし、現実も、主体も、文化や知も、言葉や言説の中で構築されるというポストモダン的な考え 方の影響が強まる中で、フェミニズムの関心も、資本制とか、家父長制という社会構造についての決定論的モデルから離れ、文化、主体、セクシュアリティ、エイジェンシーの問題へと移行した。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

ポストモダン思想を積極的に取り入れたフェミニズム理論化を試みる流れは、ポストモダン・フェミ ニズムあるいはポスト構造主義フェミニズムと呼ばれる。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

スーザン・ヘックマン(1990)は、 男を基準にして女も男のようになるというリベラル・フェミニズムのモデルは、二項対置および上下化 の縮小ではあっても解消にはならないし、 「本質的女」の主張というラディカル・フェミニズムのモデ ルも、二項対置を維持したまま、女上位、男下位へと上下化を逆転させるだけであると言う。そして、 男優位、女劣位の二元論と認識論の解体を目指すポストモダンフェミニズムこそが採るべき途であると主張する。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

第一波フェミニズムでは,男女の類似性が強調された.一方,第二波フェミニズムでは,性の自己決定権など,女性特有の問題を取り上げたラディカル・フェミニズムのように,男女の差異が強調された.これらの理論では,女性の中に存在する差異には,あまり焦点が当てられてこなかった(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

ポストモダンフェミニズムは,女性の経験が,人種や階級,文化によって異なることを指摘している.(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

ポ ストモダン・フェミニズムの影響を受けた現代では,人種や階級,文化によって異なる女性の経験に基づいた多様なフェミニズムの存在が当然と考えられている(『フェミニズムにおける男女平等の判断基準』,2005)

ポストモダンフェミニズムは、 「女性や女性のアイデンティティという単一の概念をやめ、階級、 人種、民族、セクシュアリティ等とからむ、複数で複雑に構築された社会的アイデンティティとして扱 う。」単一性、統一性を強調した一般理論、メタナラティヴ的なフェミニズムに代わり、ポストモダンフェミニズムは、差異や衝突と交差する、部分的、状況的、位置的な複数のフェミニズムであることを 強調する(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

マテリアリスト・フェミニズム

マルクスエンゲルスは、「人間の理性の中心性」「個人の自由と権利」を強調するリベラリズムと対照的に、 「人間自身は、かれらが生活手段を生産しはじめるや否や、すなわちかれらの身体的組織によって義務づけられている処置を講じはじめるや否や、みずからを動物から区別しはじめる」「諸個人がなんであるかは、かれらの生産の物質的諸条件に依存している」と述べ、衣食住の必要によって規定される人間の存在の肉体性/生物性、生活の物質性を中心にしたマテリ アリズム(物質主義)を展開した。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

マルクス主義のマテリアリズム重視を維持しつつ、ボルトモダンの知や文化の分析と主体概念と接合し、主体の意識の構築性、知や文化のマテリアリティを強調するグループは、マテリアリスト・フェミ ニズムと呼ばれる流れを形成している。知や文化は、意味の生産活動であり、人々の思考、現実の解釈 の仕方、行為を導くものであり、それを通して現実に作用する。現実社会の構造の分析から文化の分析の重視へと移行したポストモダンフェミニズムに異議を唱え、文化のマテリアリティを構造分析と結びつけようとする試みとも言える。(『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

ポストモダンポスト構造主義者の多くは、マルクス主義を批判し、マルクス主義を 通り過ぎた「ポスト・マルクス主義」であるのに対し、 「ポストマルクス主義」はポストモダン思想を 取り入れた修正マルクス主義である。
女性問題は、伝統的マルクス主義の理論的枠内で議論できるか?社会主義フェミニズムは、マルクス主義に、精神分析、性分業、家族論、ジェンダー化された主体を構築するイデオロギー論等を取り入れ、マルクス主義フェミニズムの接合・統合を試み、さらにマルクス主義ジェンダー化を試みた。 しかし、前述した理論的袋小路からの脱出、新しい道の模索は、ポストモダン思想との出会いの中で、 文化、言語のマテリアリティを取り入れた理論化、マテリアリスト・フェミニズムを生み出した。 (『フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心に』,2000)

マテリアル・ フェミニズム

なおポストモダンフェミニズムを批判するものとしてマテリアル・ フェミニズムがあり、ポストマルクス主義フェミニズム=マテリアリスト・フェミニズムとは関係がない

マテリアル・ フェミニズムに似た用語で,マテリアリスト・ フェミニ ズムがあるが, ここで両者の違いを確認しておかねばな らない。『マテリアリスト・フェミニ ズム一階級,差異, 女性の生活読本』を書評したレベッカ・サリヴ ァンによ ると, マテリアリスト・フ ェミニ ズムは1960 年代後期 から1970 年代初期 に, 女性の公的私的生活に目を向けた「社会主義フェミニ ズム」 から派生した。マルキスト理論と強い結 びつきがあ るが,ある特定の社会の物質的条件に基づく社会的分析や社会的関係の問題としての言説 にアプロ ーチす る。こ れらの物質的条件はジェンダ ーだけではな く,女性の実際の 生活との関係によって考察 される。こ れに対して,後述するよう に,マテリア ル・ フェミ ニズ ムにおけ るマテリアリテイの定義はマルクス主義的ではない。 (マテリアル・フェミニズムからマテリアル・エコクリティシズムヘ,2017)

21 世紀に入って登場し たマテリアル・ フェミニズムは,〔…中略…〕次のようにポストモダン・ フェミニ ズムの言説偏重に異議を申し立てる。 ポストモダニズムにとって,「 リアルなものノ マテ リアルなものはただ単に言語によって構築される。われわれがリアルな ものと呼ぶものは言語の産物であり,言語にだ け リア リテ ィ があ るの で あ る]。 そのた め, たとえば,身体研究 は現実の痛 みや喜 びを 持つ「身 体」 ではなく,「身体 につ いての言説」 の分析だった。 マテリアル・ フェミニズ ムはこうしたポストモダン・ フェミニズ ムにおける「 リアリティ」や「マテリアリティからの退 却」 の傾向に反対し, フェミニズ ムにおける「マテリアルの傾向」を 宣言するのである。 (マテリアル・フェミニズムからマテリアル・エコクリティシズムヘ,2017)

家父長制打倒を金科玉条とするフェミニストは思想的怠慢

すなわち家父長制打倒を金科玉条とするフェミニストがいるとすれば、彼女は思想的に70年代から進歩していない。

女性なるものに自己同一化して女性の表象に対してバッシングしているフェミニストも同様である。この現象は、「女性を抑圧する家父長制を打倒する」という自我理想に対して象徴的同一化をしたフェミニスト集団が、「(抑圧された集団としての)女たち」として想像的同一化した結果として説明できる。

原初的集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(『集団心理学と自我の分析』第8章、1921年

一般的には、理想自我は、自我の理想イメージの外部の世界(人間や動物、物)への投影 projection であり、自我理想は、彼の精神に新たな(脱)形成を与える効果をもった別の外部のイメージの取り込み introjection である。言い換えれば、自我理想は、主体に第二次の同一化を提供する新しい地層を自我につけ加える。(『Subjectivity and Otherness』)

でなければどうして「サイゼで喜ぶ彼女」の絵に対して怒ることができるだろうか

指導者や指導的理念が、いわゆるネガティヴの場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こしうる。Der Führer oder die führende Idee könnten auch sozusagen negativ werden; der Haß gegen eine bestimmte Person oder Institution könnte ebenso einigend wirken und ähnliche Gefühlsbindungen hervorrufen wie die positive Anhänglichkeit. (『集団心理学と自我の分析』第6章、1921年

女性を抑圧する家父長制はない、男女不平等はある。

その根は冒頭のトッドによれば、「出産とその心理社会的帰結」にあるとするが、これだけでは不十分であり、セクシャリティを加えるべきである。

アメリカのフェミニズムが急降下したのは、あの自己憐憫に満ちたケイト・ミレットがフロイトを性差別主義者と断じたときからである。フロイトを研究することなく性理論を構築しようとした女性たちは、泥まんじゅうのようなものしか作れなかった。イギリスとフランスでは、フェミニストたちはこの愚かな間違いを犯さなかったが、不幸にも、彼女たちのフロイト理解は、詐欺師ラカンによって汚されてしまった。今、行方不明だが不可欠なフロイトは、ラカン派のフェミニストたちによって、その麻痺した純血主義とともに、アメリカに密輸されてきている。すべて逆だ。頼むからフロイトを読んでくれ、ラカンは忘れてくれ。フロイトを読んでいない、つまりラカンが何をやっているのかわからない女子学部生がラカンを読まされるなんてとんでもない。フロイトは世界史における主要な思想家の一人である。彼を読むのは、常に暫定的で途中経過であった彼の結論のためではなく、彼の思索的知性の大胆な遊びのためである。彼は、どのように概念化するか、どのように長く包括的な議論を組み立てるか、どのように曖昧で非言語的な心霊現象を言語化するかを教えてくれる。彼を読むと、自分の脳の中に新しい線路が引かれるのを感じる。女性学で流行しているフロイトに対する安っぽい失言は、感情の幼稚さの表れである。アメリカのフェミニストたちは、フロイトを読まずに鼻で笑うことで、自分自身と自分の仕事に凡庸さと無用の長所を宣告しているのだ。(Sex, Art, and American Culture: Essays)

男女不平等はセクシャリティの非対称性からとらえなければ、フェミニストはただのユートピアンにすぎない。

自然的本性を熊手で無理やり追いだしても、それはかならずや戻ってやってくるだろう。Naturam expellas furca, tamen usque recurret (ホラティウス Horatius, Epistles) 

被害者意識がなくなれば女なるものに対する想像的同一化もなくなるように思える

どうして現代の女性たちが、16~17世紀のドイツ語圏を中心にした世界で、激情に駆られた男たちによって虐殺された4万人の女性の運命に、自分のそれを重ね合わせられるのでしょうか。どこか方向を見失っている気がしてなりません。(エマニュエル・トッド「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」)

まともなフェニミスト、本当のフェミニストとは

真っ当なフェミニストとは何かという話題がしばしば出るが(お前たちのいう真っ当なフェミニストとか本当のフェミニストって例えば具体的に誰だよ)、家父長制についての認識を問うことで試金石としたらどうだろうか。

「家父長制とは女性を抑圧する諸悪の根源である」と答えれば真っ当なフェミニストではない。

(家父長制なるものが実在するという立場をとるにしても)「家父長制とは男女間の不平等を命名したものにすぎない」と答えれば真っ当なフェミニストである。具体的に誰かというのであれば上にあげたスーザン・ヘックマンなど。