シエスタ

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姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)

京極堂シリイズ一作目、姑獲鳥の夏 感想など 

「いや、幽霊はいるよ。見えるし、触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしないだから科学では扱えない。でも科学では扱えないから、絵空事だ、存在しないというのは間違っているよ。実際いるんだから」(京極堂)

 

序盤から引き込まれ一気に読んでしまい、京極堂シリーズを注文してしまったところである。これを読む前『神の拳』を読んでいたのだが、読書スピードの違いに驚いた。

今まで書店で見かけたときは無駄に厚い本という印象だったが、いざ読み始めてみるとスラスラ読める。

岡田斗司夫曰く、西尾維新物語シリーズの原点であるらしく、読み終わった感想はまさに然りといった感じ。

「神様なんてのはどこにでもいるからさ。どこにでもいるし、どこにもいない。お嬢ちゃんがそうなる前からお嬢ちゃんの周りにはそれはあったし―あるいはなかったとも言える」

「禅問答ですね。まるで」

神道だよ。修験道かな」

忍野は言う。

「勘違いするなよ、お嬢ちゃん。きみは何かの所為でそうなったわけじゃない―ちょっと視点が変わっただけだ」

最初からそうだった。

化物語上より引用。

これは明らかに冒頭の京極堂の怪異観から持ってきている。

以下ネタバレあります。

 

 

 

 

 

推理小説の出来としては普通という印象。というか流石にないだろうという点が多い

娘の部屋に一年以上入らない親

想像妊娠によってまるで胎児が実際にいるかのように膨らむ腹

暗示によって破裂する人体

などである。ここら辺が嘘っぽいといえばそうなのだが、京極堂の世界観や衒学趣味的な語り口がとても心地よい。

さらに信頼出来ない語り手という印象が序盤から読者に強く意識されるが、仕掛けには気づけなかった。というかミスリードに引っかかった。あるいは勝手に引っかかった。もっとも語り手が信頼できないを通り越して異常であるのがアンフェアすぎる。部屋の死体に気づかないのはちょっと…

死体に気づかないための理由付けがもっと必要だった。語り手による床の描写の曖昧さや、果物ナイフの記述などヒントはあったのだが、正直京極堂が果物ナイフの話をした時、何のことだ?と思った。まあこれは読み込みが甘かっただけ。

 

精神病理学的な知見からもっと深く考察できそうであるので今度書いてみる。